キラキラ光るライトが見える。 歌って、踊って。周りから大きな歓声が聞こえる。 体中に喜びが溢れ、私は無意識のうちに笑っていた。 ◆ …リリリ …ジリリリリリ ジリリリリリリリリリリ!! 「わあっ!!」 私は叫んで飛び起きた。 とろけるような夢から一気に呼び戻されて、動悸が激しくなった。 枕元の時計がけたたましく鳴っている。手を伸ばしてアラームを止め、時間を確認すると8時15分だった。 「うそ?!もうこんな時間?!遅刻しちゃう!」 夢はあんなに心地良いのに、現実はこうも自分を苦しめる。なんてことを考えながら急いで着替えをした。 ◆ 5分後、家から飛び出すと私は全力で走った。 どうか転びませんように。転びませんように。 朝の空気はひんやりとしていて心地良かったが、それを楽しんでいる余裕はなかった。 奇跡的に通る信号はすべて青になり、一度も止まらずに走ることが出来た。 腕時計を確認すると8時25分。これなら間に合うだろう。 少し先に校門が見えた。他の生徒もちらほらと見える。 よし。遅刻は免れた。そう思った瞬間、脚にいつものような違和感が起きた。 ◆ 「いてて…」 あの後、思いきりすっ転んだ私は保健室に直行し、自分の教室へ来た時にはもう朝のHRは終わっていた。 クラスの皆は、授業が始まるまでの束の間のひと時を楽しんでいた。 おしゃべりをしていたり、宿題を見せてと騒いでいたり。 まだ痛む足をさすりながら席に着くと、隣に座っている子に話しかけた。 「おはよう千早ちゃん」 彼女は気難しい顔をして本を読んでいたが、私が話しかけてもこちらをちらりと見もせず、 一言、「遅刻は感心しないわね」と呟いた。 「だって、すごーくいい夢だったんだもん」 「夢はただの夢。現実を変えることは出来ないってそろそろ気付きなさい」 「もう、冷たいんだからー!でも千早ちゃんは本当はとっても優しいって知ってるから許してあげる」 一瞬彼女の頬が赤くなった。 「じょ、冗談はいい加減にしなさい!ところで今日は古典のテストがあるけど、勉強はしてきたの?」 「えっ…あー!!忘れてた!どうしよう、単語一つも憶えてない…」 「まぁ、日頃真面目に授業を受けているなら問題はないと思うけど」 「ねぇそれってまるで…」 そこで授業開始のチャイムが鳴った。 ◆ カツカツ、と黒板とチョークのぶつかる音が聞こえる。 先生は一通り書き終えると、こちらを向いて話し始めた。 「えー、この問題は至って基礎的な計算の応用で解くことが出来ます。まずは共通因数を…」 私は黒板に書かれた数字を見ながら、ぼんやりとしていた。 エックスってどうしてあんな形なんだろうとか、古典のテストどうしようかなとか、 今日見た夢は何だったんだろう、もう一度見てみたいなとか。 「天海さん。黒板を一生懸命見るのはいいことですが、心を家出させるのはダメですよ」 とうとう先生に注意されてしまった。クラスにどっと笑いが起こる。 はっとしてどうしようもなく恥ずかしい気持ちになった。顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。 隣の千早は「それ見たことか」という顔をしていた。 ◆ 「ねー、千早ちゃん。さっきの授業のノート見せて!」 「嫌です。自業自得でしょう」 「千早ちゃんしか頼める人いないんだよ。お願い!」 手を合わせて頭を下げた。 「春香、大体あなたはいつもそうやって…」 千早に淡々と説教されながら、横目で窓の外を見ると、空は澄んだ青色をしていた。 雲も数えるほどしかなくて、天の向こうまで見える気がした。 下の方に見える校庭では、次の授業が体育なのだろうか、ジャージを着た生徒が集まっていた。 ボールで遊んでいる生徒もいたし、ぶらぶらと散歩している生徒もいた。 「いいなぁー」 思わず本音を口にしてしまった。 「春香、人の話を聴いてるの?!」 「あ、うん!ちゃんと聴いてるよ!ごめんなさい。もう二度とこんなことがないように頑張るから!」 千早は少しの間考えていたが、いきなりすっとノートを差し出して言った。 「…その言葉を信じて、今回だけは見せてあげる」 「わーい!ありがとう!千早ちゃん大好き!」 また、千早の頬が少し赤くなった。 「喜ぶのはいいけど、次の授業は古典だって気がついてる?」 「げっ…」 途端にテンションが下がってしまった。 ◆ 「はい、止め!テスト用紙を後ろから回収して下さい」 テストがすべて教卓に集められると、先生は用紙をトントンと整理してクリップで留めた。 「このテストで30点未満の者には、後日再テストをして貰います。では今日はここまで」 授業終了のチャイムが鳴った。 すぐにクラス中が「ねぇどうだった」とか「全然だめだった」とか、がやがやと騒ぎだした。 私も千早に話しかけようとしたが、手で遮られてしまった。 「どうせ『全然だめだったどうしよう!』って言いたいんでしょう」 「ぐ…仰る通りでございます…」 きっと千早はクラスでトップ10に入るのだろう。何と言っても、彼女は私より”はるか”に努力家なのだから。 テンションだだ下がりのまま机に突っ伏していると、どこからか私の名前を呼ぶ声がした。 「おーい春香!」 声の主は教室の入り口でこちらに向かって手を振っていた。 その後ろにもう一人人影が見える。 「あ、まことー!」 「よっ」 私が気付くと二人はまっすぐこちらに歩いてきた。 「どうしたの?まだ昼休みじゃないよ?」 「あーそれがさぁ、お昼ご飯ちょっと遅れそうなんだ。だから先にテラスで待ってて」 「うん分かった。でもなんで?」 「へっへっへー!実は、2年生は明後日遠足なんだ!今日はその打ち合わせ。どうだ羨ましいだろう!」 真はちょっと自慢げだった。 「ええっ!いいなあ羨ましい!!」 「これぞ2年生の特権だね!はっはっは!」 すると真の後ろにいた子が申し訳なさそうに、「ねぇ真ちゃん」と言った。 「なぁに、雪歩?」 「来週…1年生も遠足あるんだよ…」 「え、そうなの?!」と、私と真は同時に叫んだ。 「うん。年間行事予定を見たら書いてたよ」 「なーんだ。1年生もあるんじゃない。2年生の特権だってね!あははははは!」 私は腹を抱えて笑い、真は悔しそうな顔をしていた。 「むっ!雪歩どうして最初に教えてくれなかったのさ!?」 「うぅ…だって真ちゃん知ってると思ったから…」 「春香。笑うのも程々にしなさい」 このやり取りの中、ただ一人黙々と本を読んでいた千早が、突然私を諌めた。 私も真も雪歩も動きを止め、千早の方を見た。 「あなたも来週遠足があるってこと知らなかったんだから、どっちもどっちよ」 「…はい…」 真がニヤリと笑うのが見える。 「確かに千早の言う通りだね!お互いさまってこと。あ、そうだ、今日の放課後空いてる?」 「…空いてるけど」 「ならいつもの場所に集合しようよ。千早はどう?」 千早は頬に手を当てて少し考えた後、「行くわ」と言った。 「おっけー!じゃあ、またお昼に!」「またねー」 そう言い残し、二人は教室から去って行った。 ◆ カランコロン。ドアベルが鳴る。 「こんにちはー」 「いらっしゃい。おお、君たちか」 喫茶店のマスターが出迎えてくれた。 「今お客が誰もいなくてどうしようかと思っていた所だ。さぁこちらへ」 私と千早はカウンターへと案内され、席に着いた。 「マスター、相変わらず真っ黒ですねー」 「おおーっ!流石は天海君、目の付け所が違うな。どうだ、うちでバイトしてみないかね?」 「い、いえ!今は勉強が忙しくてそれどころじゃないんで!すみません!」 千早に一瞬冷ややかな目で見られた気がした。 「…それは残念だ…」 「そ、それにもうバイトは1人いるじゃないですか」 「ああそれがだね…。しまった!!三浦君のことをすっかり忘れていた!」 マスターは突然叫ぶなり、オロオロし始めた。 「どうしたんですか?」 「実は先ほど、ついうっかり三浦君にお使いを頼んでしまってね…。迎えに行かなくては」 「あずささんにお使い頼んじゃ駄目ですよ!」 「あの時は日差しが暖かくてぼんやりしていたんだ…では行ってくる」 「え、ちょっと待って下さいよ。店番はどうするんですか?」 私が慌てて聞くと、マスターは店の奥に向かって叫んだ。 「おーい律子君!店番頼むよ!これで大丈夫だ」 ◆ 「まさか律子さんがここでバイトしてるとは思いませんでした」 「私だって目的のためならバイトくらいするわよ」 眼鏡を掛けた女性が答える。 「それにここ、休日は結構人が来るし、時給も文句ないのよね。今の時間帯は人が少ないけど」 「ふーん。で、目的って何ですか?」 「企業を興すの。今は1円からでも出来るけど、資本は重要だから」 「す、すごい夢ですね…」 「夢じゃない。絶対に実現して見せるわ」 大した自信だなと思う。私は、将来何になるのだろう。 数分後、マスターとあずささんが帰って来て、続けて真と雪歩もやってきた。 「千早ちゃん、あずささんと何話してるんだろう」 奥の方の席で話す二人を見て、私は呟いた。 「さぁね。あずささんは何だか楽しそうに見えるけど、千早はいつも通りだし」 真も不思議な顔をして見ている。 「ところで、何か話したいことがあったんじゃないの?」 「あ、そうそう。雪歩、あれ出して」 真が合図すると、雪歩はカバンから一枚の紙を出した。 「…アイドル、オーディション?」 「うん。実はね、私と真ちゃんで、応募してみようと思うんだ…」 「ええーっ!すごいね!雪歩にそんな決断力があったなんて知らなかった」 「ち、違うの!これは真ちゃんに誘われて…」 「そう。ボクが誘ったんだ。ボクと雪歩ならきっと上手くいくと思ってね!」 「へぇー…」 アイドルなんてそれこそ夢の話だ。普通の女子高生の私には、限りなく縁がないものだと思った。 「二人なら…大丈夫だと思うよ」 「ホントに?!ありがとう春香!!」「真ちゃん頑張ろうね!」「あぁもちろん!!」 それから一時間ほど、三人で他愛もない話をして解散になった。 ◆ 喫茶店からの帰り道、空は真っ赤に染まっていて、私は上を見上げたまま歩いていた。 「春香、前を見て歩かないと危ないわよ」 千早が注意する。 「大丈夫。何かあったら千早ちゃんがいるもん」 「その考え方は良くないって今日言ったばっかり…」 「ねぇ、さっきあずささんと何話してたの?」 ふと思い出して聴いてみたが、千早は黙っていた。 「…どうでもいい話よ。春香には関係ない」 私は少し頭にきた。 「千早ちゃん。私たちの関係って何?」 「…友達…だけど」 「友達は、何でも言い合えるものだよ。私は千早ちゃんに隠し事したりはしない」 立ち止まる二人の影は長くなり、空は赤からうすい紫色へと変わっていった。 意を決したように千早は言った。 「そうね。春香になら、何でも言える」 「うん」 「実は私、歌を歌いたいの」 「歌?」 「ええ。春香は、私に弟がいるって知ってるでしょう?」 「うん知ってる。確か、病気で入院してるって」 千早は何だか悲しげな眼をしていた。 「弟が、昔みたいに、私の歌を聴きたいって言ったのよ。小さい時はよく歌っていたから。 でも今は全然歌えなくなってしまったし、どうしようかと悩んでいた所に、 あずささんから『良い講師を紹介してあげるから、レッスン受けてみたらどうかしら』って提案があったの。 彼を元気づけられるのなら、私は何でもするつもり」 「そう…なんだ」 「弟はたった一人の家族だから」 千早は歌が歌いたかったんだ。家族のために。 みんなそれぞれやりたいこと、夢がある。 じゃあ、私は。何をしたいのだろう。 私は。 ◆ 私の家の前まで来ると、千早は「また明日」と言った。 「千早ちゃん」 帰ろうとする彼女を呼び止める。 「何?」 「私、実はね…」 思い切って自分の気持ちを伝えようとした。 しかし、どこからか私の名前を呼ぶ声によって遮られてしまった。 『春香!春香!』 聞き覚えのある女の子の声だった。 「ねぇ、私の名前を呼ぶ声がしない?」 「いいえ。何も聞こえないけど」 「えっ、だってほら何度も…」 春香!春香! 春香!ねぇ春香! はるかー!!早く起きるの!! 世界がぐるぐると回転し、歪み、色がぐちゃぐちゃに混ざり合っていった。 ◆ 「…ふぁ?」 目を覚ますと、私は事務所のソファーで横になっていた。 「ああ!やっと起きたの!!」 金髪の女の子が私の顔を覗き込んで言った。 「あ、美希…あれ?私寝てた?」 「そうなの!ミキの寝床奪ったうえに、レッスンが始まる5分前までずっと寝てたんだよ!」 時計を確認すると1時55分。レッスンが始まるのは確か…。 「2時にはレッスンが始まっちゃう!!急ぐよ美希!!」 「それはミキのセリフ!!春香こそ早く早く!!」 慌ただしく準備をしながら窓の外を見ると、青空が広がっていた。 もし、別の世界が存在するなら、その世界の私も、こうやって青空を見上げているのだろうか。 P.S.普通の女子高生の私へ。 私は今、アイドルをやっていて、毎日がとても楽しいです。 あなたにも、素敵な将来が訪れることを祈っています。 夢に向かって頑張れ! アイドルの天海春香より。